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schadaraparr:

余談最新号、完成間近!
新木場でぜひ~。
ボーズ

ゲットだぜ!

Reblogged from スチャダラ通信
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mrburrito:

Now Spinning: Adam Yauch MCA Tribute album. Limited edition on white marble vinyl. Picked this up the other day. Solid album. RIP MCA. #vinyl #beastieboys #MCA (Taken with Instagram)

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RUN-DMC/MCA追悼インタビュー翻訳

MTVで収録されたRUN-DMCのMCA追悼インタビューも翻訳しました。僕は1回だけニューヨークでRUNに遭遇したことがあります。Beatnutsのビデオ撮影をスタジオに見に行ったとき、入れ違いでドアからあのRUNが出てきたのです。ぼくは(あまりないことですが)思わず「RUNだ!」と声に出してしまいました。一人だったのにもかかわらず。するとRUNは左手のピースサインを横に構えて僕に向かって歩きしなにポーズを決めて、そして軽くうなずきながら車に乗り込んでいきました。「カッコいい~」。。。それがぼくの最初で最後のRUN体験でした。余談でしたが大好きなグループなのでちょっとしたエピソードを伝えさせてもらいました。失礼しました。それでは本文翻訳です。どうぞ。


RUN-DMCインタビュー(MTV,4-May-2012)

1986年ビースティボーイズはLLクールJ、フーディニそしてRUN-DMCとレイジングヘルツアーに出た。グループは互いに瞬く間に化学反応を起こしたのだった。 ビースティボーイズのメンバーの一人、アダム・ヤウクは3年にわたるガンによる闘病生活の後、5月4日この世を去った。REV RUNそしてDMCMTVニュースのインタビューに答え、ヤウクそしてビースティボーイズと一緒に過ごしたグループ初期の思い出を語ってくれた。


Rev Run.インタビュー

(説教師ラン/牧師の資格を取ってからはこの名前で活動)


MTV: どうやって仲良くなったんですか?

RUN : 初めて俺が奴らに会った時、それはあいつらがデフジャムのオフィスに来たときの話だけど、彼らは単にいいラッパーって言うだけじゃなくて、それ以上にあいつらは可笑しかった。彼らはフレンドリーって言うだけじゃなくて、とにかくファニーだったんだ。そしてそれは信じられないほどに。あいつらのライム(ラップ)は面白いし、あいつら自身も面白かった。だから彼らについて思いだすのは、彼らといる時はいつも最高に面白くて、ユーモラスで、彼らのそんな所に俺は魅かれたんだ。ツアー中でのある日、実際俺はツアーバスに置き去りにされたんだ。あまりに彼らに興味をそそられて、すっごく仲良くなって、彼らのバスで夜を明かしちゃったんだ。それはすごくクールでさ。俺そんな事したの生まれて初めてだったんだけど、おいベッド空いてるか?なんて言って俺は自分のバスから彼らのバスに乗り換えて過ごしたんだ。もし「ファンエストFUNNEST」(楽しいの最上級!)って言葉があるとしたら、それは「ファンエスト」な出来事だった。


MTV: ヒップホップ界への彼らの影響は? 

RUN: 俺が思うに彼ら(ビースティボーイズ)はみんなの頭をぶっ飛ばしたよな。彼らに会う少し前から俺ら(RUN-DMC)のツアーは始まってたんだけど、あいつらがツアーに合流してからは最高だったよ。俺は実際あいつらと「ポールリビア」とか曲を作った後だったんだけど、それからあいつらは俺たちの「Slow and Low」って言う曲を使ったんだ (俺らがスタジオに残していったデモテープを聴いて彼らが歌ったんだ) だから俺はリックルービンと一緒になって実際少しだけ彼らのアルバム制作にも関わってた。それからあいつらはDr.Dre(オリジナルコンセプト/Yo MTV Rapsのホストとしても有名。元NWAのドレではありません)をDJとして迎えたんだけど、あれはすごくクールだったな。そういう訳であいつらはドレのDJでラップをやってたんだけど、俺の記憶で言うと、あいつらは単にマイク握ってドープ(かっこいい)ってだけじゃなくて ー特にアダム・ヤウクといったらー あいつはマジで信じられないようなライムスタイルを持ってたから、俺は思わず「こいつはマジですげえな」って言ったよ。そう、そしてみんながそうだったように俺たちも彼らと恋に落ちたんだ。そんなことが俺に中で起こってた。「この白人のキッズはマジでラップができるんだな」って思ったよ。アダム・ヤウクは特別な耳障りな声の持ち主で、そこが俺にとってかっこ良く響いてさ。それだからこそ彼が素晴らしい本物のそして極上のラッパーとしてずば抜けていたんだろうね。白人の子たちがあんな風にラップするのにとても魅かれたし、すげえクールだった。そして彼らは自分たちのルーツも忘れずにいた。だからこそ彼らは常に自分自身に正直でいられたんだろう。


MTV: バカバカしい思い出は?

RUN: あの頃ビースティボーイズはメルセデスベンツのエンブレムを取ってそして首からぶら下げてたとか、ベンツのエンブレムを車から奪うとか(人が)いうのを聞いたよ。ツアーでロンドンに行った時の事だけど、プレス(報道陣)の奴らは相当ビビってたよ、だってビースティボーイズがやってくるんだから。俺らが海外に行ったときのことなんだけど、プレスの奴らが思うビースティボーイズ像ってまるで社会現象みたいだった。プレスの奴らがそんな風にあいつらの事を考えてたって事全てが俺にとってはショックだった。プレスはRUN-DMCは大好きなのに、ビースティボーイズが町にやって来るってことは、彼らの取って別次元の事件だったんだ。


MTV: 最近の思い出は?

RUN: 2−3年くらい前に俺と何人かでMTVの番組「Run’s House」の撮影をしに、ブルックリンのビースティボーイズのライブに行ったんだ。それで俺はそのショーの中で「No Sleep Till Brooklyn」が始まる前でステージに飛び入りして観客に手を振ったんだ。俺は何年も彼らと過ごしてきたから、俺の彼らへの愛情を示したかったんだ。俺から彼らへ捧げたいのは、ただ彼らの事を俺は愛してるぜってことだけさ。そして彼らがヒップホップ界に成し遂げた事は伝説だよ。



DMCインタビュー(MTV,4-May-2012)

MTV: どうやって仲良くなったんですか?

DMC: すぐにだよ。あっという間さ。彼らはバドワイザー、俺たちは40オンスのオールドイングリッシュ(ビール)を飲んで酔っぱらってさ。俺たちはゴールドチェーンにキャディラックのエンブレム、あいつらはフォルクスワーゲンからかっぱらってきたエンブレムを首にぶら下げて。彼らが俺らと仕事をするのは、気持ちは同じだったかもしれないけど、表現方法は違ってた。あいつらの靴はドロだらけで小学5年生から履いているスニーカーみたいで、俺たちのスニーカーは必ずピカピカじゃなければならなかった。でも俺たちはいつも、音楽の見せ方では両方ともにロックしてた。俺たちの個性は同じハートから表現されてた。同じハート、同じ感情。俺たちは一緒に暮らしてた。世界中をツアーして、共に演奏して、共に酔って、共に笑いころげて、共に泣いた。彼らの何が良かったか分かるか?あいつらは演じてた訳じゃないんだ。それは白人のラッパーが黒人のラッパーになろうとしていた訳じゃなかったんだ-彼らは彼ら自身だった。そこを僕らはリスペクトしたんだ。本物は本物が分かる。ある時映画の撮影のときでも、彼らはただ彼ららしくいるだけだった。エネルギッシュで、エキサイティングで、本能的で、そしてとてもクリエイティブだったよ。


MTV: ヒップホップ界への彼らの影響は?

DMC: ビースティボーイズは最高のグループの一つだ。俺は単にヒップホップの話をしてるんじゃないぜ。ビースティボーイズは歴史上最高のグループの一つだ。ヒップホップ界のラモーンズとも言えるくらいさ。いやそれ以上かも知れない。彼らは偉大なロックグループだよ。彼らがエミネムやバニラアイスに道を切り開いたわけだし、他の白人ラッパーが出て来られたのも彼らのおかげだよな。彼らが道を開いたんだ。


MTV: ばかばかしい思い出は?

DMC: 「トゥゲザー・フォーエバー・ツアー」の時、俺たちはヨーロッパにも行ったんだけど、ステージが本当に本当に濡れていて、(彼らが缶ビールを開けてそこら中にまき散らすからさ)、ステージはまるで危険地帯になってた。俺たちはステージの脇から見ていて「誰かステージから落ちんじゃねえか?」なんて思ってたら、MCAが20フィート(6メートル?)くらい滑って、空中から激しく落ちてさ。俺たちもあいつが死んだかと思ったよ。でもすぐに立ち上がってライブを続けたんだ。あれは最高にクレイジーだった。


MTV: 最近の思い出は?

DMC : 俺は何年もの間、絶えず彼らとは会ったよ。ニューヨークに行ったときも、おれはあいつらと会った。L.A.に行っても彼らと会った。俺がレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンズのライブに行っても彼らと会った。俺がラジオ収録に行っても、映画のプレミア試写会に行っても彼らと会った。俺がグリニッジビレッジのバスケットボールコートの脇を歩いていても、彼らがバスケットボールをしているのを見かけたり。俺はどこでも彼らを見かけたよ。それってクールだよな、だってみんなが見ている素顔の彼らって、彼らがラップしてる事そのものなんだから。彼らがここにいるぜってラップしている場所に彼らはいて、こんな事やってるぜってラップしてる事を彼らは実際にしてるんだ。彼らはいつもスケートボードパークにもいたし、彼らはいつもレコーディングスタジオにもいた。彼らはいつも新しいインディバンドのプレミアライブをやるようなクラブにもいたんだ。」


翻訳:Matt Takei (1-June,2012)


原文リンク:http://www.mtv.com/news/articles/1684546/adam-yauch-mca-beastie-boys-run-dmc.jhtml

 #RIPMCA

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マイクD・ローリングストーン誌インタビュー翻訳

アドロックインタビューの翻訳に続き、今日はマイクDインタビューをアップします。アドロックもコメントしていましたが、ビースティボーイズの二人はMCAのことを思うファンへの感謝の気持ちを伝えたかったのではないでしょうか。MCA、ビースティボーイズを思うすべてのファンの皆さんの助けになれば幸いです。


マイクD(マイケル・ダイアモンド)・ローリングストーン誌インタビュー

(14th-May,2012)


マイクD: 「彼は一番美しいやり方で僕らをだましてくれた」アダム・ヤウク(MCA)とビースティボーイズのメンバーとして、また30年来の友人だったマイケル・ダイアモンド(マイクD)はそう語った。また後述するが、彼の3年に及ぶ闘病生活を振り返って「信じがたいほどの楽天主義だった」と評した。「先週まで僕はアダム(ヤウク)が、どうにかして帰ってくるってずっと信じてたんだ」と、(マイク)ダイアモンドはヤウクの死後初めて(10日ほど後)のロングインタビューに率直に答え、そして告白してくれた。「でも僕はこの楽観主義は何物にも代えがたかったと思うんだ」 ヤウクが生まれ育ったブルックリンの家から6ブロックほど離れた彼の自宅のキッチンに腰かけて、彼はとっさに付け加えた。「だってほかの選択肢なんてちっとも楽しくないから。」


−ヤウクはファイター精神の持ち主だったんですか?

彼は仏教に出会う以前から、執念と信念を持ち合わせていたよ。彼のお母さんも言っていたんだけど、それは持って生まれた資質だったんだ。たとえ完全におかしなアイデアに思われることでも、彼はこれだと思ったらやり遂げてきた。例えばアルバム「ポールズブティック」。「360度の写真だって?そんなぐるっと1周するようなカメラないよ」なんて言ってたら彼は実際リサーチしてついには見つけ出したんだ。それは彼固有の才能だった。

*訳者注:「ポールズブティック」は世界初の8面展開のアルバムジャケットだった。そんなジャケットは後にも先にもビースティボーイズしかやっていないと思う。

http://paulsboutique.beastieboys.com/

ラッパーとしてヤウクは個性的で荒々しい低音(バリトン)ボイスでした。彼はむしろソウルシンガーのような声でしたね。

僕らが初めてヒップホップのレコード制作をしたときでさえ、それは19歳か20歳位の頃の話だけど、彼はしわがれた、まるで40歳の人みたいな声でさ。彼はまるでラップするボビーウーマックみたいだった。ヤウクは天から才能を授かったMC(ラッパー)だった。アダム(ホロヴィッツ/アドロック)と僕が最初にぶっ飛ばされたのは、彼の歌詞よりも、むしろラップのフロー(スタイル)にやられたんだ。グループの初期の頃、僕らはスタジオでヤウクがそんなラップを楽々とこなす様子を見て本当に驚いた。ホロヴィッツと僕は少し嫉妬したくらいさ。そしたらリック(ルービン)が僕に言った。「いや、これでいいんだよ。これがヤウクだ。君らのラップは一生懸命やってるように聞こえるけど、君らは一生懸命ラッパーなんだから。」だってさ(笑)。僕は未だにこの言葉から何を学べばいいか分からないでいるよ。


君が初めてヤウクとであった時の印象は?
アダムは僕にロープの結び方や、自分の好きな(パンクバンドの)バッジの作り方、それからライブにこっそり入る為の偽スタンプの作り方を教えてくれた。それから(初期パンクバンド時代のビースティボーイズメンバーだった)ジョン/バリーと僕がブラックフラッグのライブを見にペパーミントラウンジに行った時、ヤウクは言った「バンドやろうぜ。お前ら二人はメンバーな」って。それは彼が(彼の映画会社)オシロスコープを立ち上げるのと同じエネルギーだったように思う。物事を実現する才能。


「ライセンス・トゥ・イル」の頃の思い出は?

僕らはこの808ドラムマシン(ヒップホップ界の名機)で遊んでた。そして、このビートをならしたらヤウクが「これ逆回転で聞きたいな。」って言い出して。その時RUN-DMCのRUNがそこにいて、「こいつ何おかしな事言ってんだ」なんて感じだった。でもヤウクがこのビートを録音して、それをダビングしてひっくり返して再生してーこれはデジタル録音以前の話だよーそしてマルチトラックに録音して、その逆回転ビートが「ポール・リビア」になったんだ。ヤウクは僕たちが見えない先まで見通してた。そしてそれにみんなぶっ飛ばされたんだ。

彼はポールズブティックの頃のLSDを使った体験について話してた事があったね
その頃ヤウクは精神世界、内なる世界への旅に出始めてた。僕らはたくさんのサンプル音源を(曲に)重ね合わせていった。ヤウクはこれをとても気に入ってた。LSD体験が彼に特別な見える力を与えてたんじゃないかな。「すげえ。再生ボタンを押すと全部のサンプリングが一斉になりだすよ!」なんて言ってた。ヤウクはすばらしき怖いもの知らずだったからね。

彼が仏教徒になってからは個人的に変わりましたか?

彼はいつも冬になるとスノーボードに行ってしまって数ヶ月も帰って来なかったんだ。ものすごい真剣なレベルでね。そして今度はスノーボード以外の事でいなくなった。彼はチベットのダラムサラで彼の聖下であるダライラマの教えを請いに2ヶ月ほど行っていたんだ。そして彼はだんだんとその教えを音楽に取り入れていった。彼が最初に僕らには演説台があって、僕らにはそれを使う必要があるって気付いたんだ。でも彼は決してそれ(仏教の教え)を僕らに押し付けるようなことはしなかった。彼は「君もお坊さん達に会うといいよ。彼らもお互い冗談を言い合うのが好きなんだぜ。」なんて言ってた。僕らがサボタージュのビデオ撮影で車をぶつけたりしてふざけてるのとそれは同じ事だった。ただぼくらはその時ひげやかつらをつけていたけどね。

*ダラムサラについて:http://www.tibethouse.jp/about/dharamsala/about.html


去年の秋のレコーディングのセッションではどのくらいレコーディングしたんですか?

ヤウクがやろうよって言い出して。彼には病気の治療があったから、彼以外には言い出せなかったからね。僕らが既に作りかけの曲とかデモとか、それから新曲のアイデアもあった。彼はヴォーカルのレコーディングが出来るか分からなかった。でもしばらくしてレコーディングはやめにした。そしてそれをヤウクもよしとした。彼なりの「俺もやってるぜ」っていう意志表現だったのかな。


彼なしで音楽活動をする事については?

音楽を作り続ける事については想像できるよ。でもバンド形態だとわからないな。でもヤウクはきっと僕たちがクレイジーな事をやり続ける事を心から望むだろう。


翻訳:Matt Takei 31st-May,2012


原文リンク:http://www.rollingstone.com/music/news/mike-diamond-on-the-beastie-boys-last-recordings-with-adam-yauch-20120523#ixzz1vmCOWvnR 

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アドロック・ローリングストーン誌インタビュー翻訳

5月14日行われたローリングストーン誌によるアドロックインタビューを友人に頼まれて翻訳しました。拙い翻訳ではありますがシェアできればと思います。それではどうぞ。

 

アドロック(アダム・ホロヴィッツ)・ローリングストーン誌インタビュー(14th-May,2012)

「完全に呆然としてるよ」アダム・ホロヴィッツはぶっきらぼうに答えた。バンド仲間のアダム・ヤウク(MCA)が5月4日に亡くなって以来初めて彼はインタビューに答えてくれた。ビースティボーイズの広報担当の事務所に座って、ヤウクが亡くなって10日後の今日、ホロヴィッツは愛情をこめて彼らの過ごしたパンクでヒップホップでhijinksな生涯を振り返った。彼はまた、友の死後、どのような心情なのか、そして彼がゆっくりとそれを受け入れようとしている気持ちを語ってくれた。「僕の妻は、「あなたが立ち直っているか確かめたいわ」なんて言ってる。でも犬の散歩になんか行ったとき、突然、道端で涙があふれてしまうんだ。」ホロヴィッツは物憂げに首を振った。「ほんとに頭がおかしくなるよ。」

 

-ヤウク(MCA)はビースティボーイズの最年長でしたが、彼はバンドの初期リーダーだったんですか?

彼はスマートでまとめ役だった。友達同士でバカなアイデアを出し合ってもふつう実現はしないものなんだ。でもヤウクは実現させる。彼には特別なやり遂げる力があった。僕らメンバーにはそれぞれ役目があって、彼は「make-it-happen」(実現させる)担当だったんだ。俺が昔「潜入捜査の警官みたいな恰好で写真撮ろうよ。きっとおもしろいから。」なんて言ったら、アダム(ヤウク)はその時ムービーに凝ってたもんだから、結局それがあのビデオ(「サボタージュ」)になったんだ。それは僕らにとって、単にいい写真を撮るどころの話じゃなくなってた。

- ビースティボーイズの音楽制作においてのヤウクの役目は?

アドロック: 彼は本当にいいベースプレーヤーだった。彼はバッドブレインズのダリル(ジェニファー)が大好きで、実際彼みたいに鳴らすことができた。僕らが初めてマーク西田(マニーマーク)と会ったとき、彼とヤウクが音楽的なことは全て話したりしてた。「もう5つ上だな」とか話してたんだけど、俺は「指をどこでおさえるか教えてよ。そしたら4分ぐらい弾いてるからさ」なんて具合だった。アダム(ヤウク)はテクノ・ウィズ(電子楽器の魔法使い)だったよ。そんな風に俺やマイクあとリック(ルービン)はアダムのことを呼んでた。以前ブルックリンのヤウクのアパートに遊びに行ったんだ。ヤウクはオープンリールのテープレコーダーを持っていて、部屋中にテープを繋ぎまくってた-キッチンからイスのまわりから。彼はレッドツェッペリンのビートを切り貼りしてつないで、何回も何回も同じビートがかかるようにしてたんだ。俺が「どうやってそんなこと思いついたの?」って聞いたら彼は「スライストーンがこうやってたって聞いたんだ」なんて言ってた。

 

-君とマイクはヤウクとどうやって曲を作っていたの?だれがどんな役割だった?

「ライセンス・トゥ・イル」のヒットの後、ある日僕らは口論になってしまったんだ。「俺はこの曲の37%作ったぜ」とか「この16小節は俺だ」とか。ぼくらはそれから、そんなことを問題にしたくなかったから、全てを3等分しようって決めた。誰が何を担当したとしても、僕らはメンバー全員のクレジットを載せた。ただし拒否権(VETO)を行使した場合を除いて。もし誰かがどうしても嫌だったら、「この曲はやめよう」って言えるんだ。

-君はヤウクのアイデアを拒否したことはあった?

ヤウクは「イル・コミュニケーション」 のアルバムカバーをこの木の絵を使いたがってた。実際この絵はジャケットの内側で使われたんだけど、俺は「この木以外なら何でもいい」って拒否権を行使したんだ。ヤウクはマイクと僕にアルバム「The Mix-Up」の時に拒否権を行使したよ。「このアルバムはインストアルバムにするべきだ」って。僕らは「ちょっとボーカルも入れてみようよ」なんて言っていたんだけど、「いや、これはインストゥルメンタルじゃなくちゃだめなんだ」って言ってた。

*訳者注:MCA発案のヒップホップグループによる世界で初めてのインストアルバムは、その後ビースティボーイズとして3度目のグラミー賞を受賞することになった。

 

-ヤウクのキラーチューンやパンチラインで君をノックアウトした曲や思い出は?

僕らはLAで「ポールズブティック」を録っていて、彼はコリアンタウンのクレイジーなアパートに住んでいたんだ。そして彼は「A Year and a Day」を作った。トラックはすげえヘビーだった。ヤウクはそれにラップを入れたんだけど、ヤウクはマイクを装備したジェットパイロットのヘルメットを買ってきて、それをかぶったままレコーディングしていたよ。

 

-彼が仏教徒になってから君は彼の作風の変化にどういう風に対処したの?

彼の歌詞はシンプルに愛情(Love)と非暴力(Non-Violence)についてだった。それが彼が熱心に書いたテーマだった。基本的な気持ちは相変わらずだったけれど、僕らは共に変化して行ったんだ。俺が「グラティトュード」(感謝の気持ち)の歌詞を書き上げた時、ヤウクは「この歌詞すごいいいね」って言ってくれて。僕は彼をハッピーにできたことにハッピーだった。誇りに思ったよ。

-彼ががんを打ち明けたときの君の反応は?

彼は「俺は大丈夫だからって言って。大体において彼はいつも彼は正しかったから、僕も彼を信じた。君もきっと彼のやる気とポジティブさに、そう思わずにはいられなかったと思う。僕らは数ヶ月前にレコーディングしたんだ。以前となんにも変わらずに。以前にも増しておならみたいな冗談を交わして、ご飯を注文して。いつものお決まりのやつ。だからレコードを出すのにあんなに時間がかかったんだ。

 

-彼が仏教の中で得た慰めは、あなたが彼の病気と死に向き合う助けになりましたか?

ヤウクは恐れてていなかったと思う。辛かったと思うけど。でもおれはヤウクがこわがってる所なんて見たことがないと思う。僕らは昔ブルックリンにとんで行った時、少しこわがったかもしれないけど。でも、彼は長い(闘病の)あいだ全く恐れていなかった。そのことが僕を安らかな気持ちにさせてくれるんだ。

 

翻訳:MATT TAKEI 30th-May,2012

原文参照:

http://www.rollingstone.com/music/news/beastie-boys-adam-horovitz-opens-up-about-adam-yauch-he-was-in-charge-20120523#ixzz1wFh0LdMh

次回はマイクDインタビューを翻訳予定です。